幕張本郷の不動産社長経験【245回目】不動産売買の縁、面白さ、奥深さ、失敗例、反省点等ランダムに紹介します!
独立後「最初の契約」
昭和62年10月26日が独立後の最初の契約でした、東京方面は不動産バブルが始まっていた時期でした。港区西麻布のA不動産会社からの依頼で千葉県市川市の中古物件を数点紹介していた中の1件を買主が気に入り契約に進んでいきました、港区の地上げされる土地の代替え地でしたのでローン条項もなく手付金、残金支払いで購入物件の方は決済して、引っ越しの後に港区の売買代金の残金が支払われて無事取引は完了しました。
取引台帳にはA不動産会社と他1社仲介会社が入っていたように記入が有りますが、なぜか1社の方はあまり記憶に有りません。
独立、「宅地建物取引業者免許証」発行の登録日後5日目に最初の契約は3億4,500万円金額の契約はラッキーでした。A不動産会社には感謝、感謝でした!
会社設立は「昭和62年8月24日」
昭和56年10月に「宅地建物取引主任者」の試験は3回目で合格しました。昭和57年4月頃最初は高円寺のK建設で「建売、売建、不動産仲介が主力の不動産会社に約3年間在籍」して一から不動産売買の仕事の勉強をさせて頂きました、退社時は課長職で部下も数名下りました、当時は朝9時から夜は9時~10時迄仕事が当たり前の環境でした、課長職になるとその後週1回のチラシ作りで11時~12時になる事も有り千葉からの通勤でしたので30代と若くてもとても体力的に大変でした、社長に体力的にキツイと申し出て円満退職(新宿で幹部社員と送別会開いてくれました)。
千葉に帰りM不動産に約1年、S不動産に丸2年店長で勤務後、約6年の不動産売買、建売の修行を経てJR総武中央線津田沼駅近くの大きめのワンルームの部屋を借り、「昭和62年8月24日」会社設立登記した後で宅地建物取引業者の免許申請➡「昭和62年10月21日」「宅地建物取引業者免許書」交付頂き営業活動に入る。
不思議な縁
港区西麻布A不動産会社の社長は、高円寺のK建設社員時代のお客様でした!しかも「手付金を放棄して契約解除」をした人でしたのでビックリです!(西麻布の地上げ等は地元の知り合いや、商店やビル所有の会合等で会った人からの情報で仕事をしておりました)。K建設の元の上司から私に電話が有ったが退社したと言ったら、今の居場所を知らせて下さいと聞かれたが教えて良いかと言われたので良いですよと答えておきました、2日後にA不動産会社社長より連絡有り「至急物件を探して欲しい」と朝依頼され夕方には希望地区の物件を数件FAXしておきました、2~3日後送った物件の中の1件を気に入ったので物件を止めて契約の話を進めて下さいと「不動産買い付け証明書」FAX来ましたので早速売主業者にFAX送り話を進めて、「とんとん拍子に契約、決済迄終わった記念すべき独立後最初の契約」でした。
*西麻布のA不動産会社社長は、男勝りの女性で気が強く、頭の回転も速く、株取引もやっており、決断も早く何事にもクヨクヨしないタイプで、地上げ売主の代替え仲介物件を探さなくてはならなくなった時に、手付金放棄して解約したがその希望物件を一生懸命に探してくれた私を思い出して連絡したとの事でした、同じ手数料を払うなら以前半分しか手数料を払わなくて迷惑をかけた分を少しでも(何倍にもなって返ってきましたが)取り戻して欲しかったと云ってました、義理人情にも篤い人でした(10年位前に癌で死亡しました、合掌!)。
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