幕張本郷の不動産社長経験220)不動産売買の面白さ、難しさ【鉄骨工事現場監督時の写真、工事内容】④
[日本テレビゴルフガーデン」新宿区工事現場
昭和49年5月20日から7月引き上げまで2ヶ月位の工事でした、パイプの鉄骨を工場で出来る処迄造り、現場搬入して建てる前に現場架台上でワンスパン組み立ててから移動式タワークレーンで建て方を進める方法でした。鉄骨は下で組み建てからタワークレーンで吊って建てるのでかなりの重量が有った筈ですが、風の強い日は結構揺れて上にいる鳶職人が抑えきれなく掴んだ鉄骨を離してしまう事もしばしばありました、下で見ていると鳶職人が手を離さないと振り落とされるのではとひやひやして心臓に良くありませんでした。
又建て方の時はボルトを仮締めして次に移っていくので風が強い時は結構揺れますので下で見ていても怖いくらいでした。
鉄骨を建てて、歪みを取り、ボルトの本締めをすると当社の仕事は終わりでしたので割と手離れが良い現場でした。又危険な状況下の仕事でしたが事故もなく無事引き上げることが出来ました。
写真1番下は新宿副都心の超高層ビルです、当時は未だ①京王プラザホテル②住友三角ビル③三井ビルの3棟しか建っておりませんでした。
「淀川製鋼工場建屋」東京湾の埋め立て工業地内
JR西船橋駅から交通機関が無いのでタクシーで最初は通っていました、途中から中古の車を買って車で千葉市の寮と現場の往復していました。ゼネコンも3社入っていてそれぞれの納期に合わせて急ピッチで作業が進んでいました。
別のゼネコンの鳶職人が足を滑らせて下に落下しました、丁度鉄骨の柱の周りは後でコンクリートを打つ関係上鉄筋が1m~1.5m上に突き出ていました、そこに垂直に落下したので大腿部に鉄筋が刺さって串刺し状況になりました。
断末魔の叫び声が響いたので近くにいた職人や私も現地に行き鉄筋から大腿部を引き抜く作業をやりました。「ぎゃあ~、、、ぎゃあ~、、」を叫ぶのを聞きながらようやく鉄筋から引き抜き、救急車が来るのを待って乗せました。後で聞きましたが傷は順調に回復して仕事に復帰したそうです、良かった!
当社は事故なく無事工事が完了して引き上げる事が出来ました。
「興和寮旅行」〇〇温泉旅館
昭和51年夏、久しぶりに工事現場に行ってない時期でしたので興和寮の仲間で温泉旅館に1泊で旅行に行って来ました。
幹事で無かった事も有りどこの温泉旅館に行って来た?のか思い出せませんが、滅多にない事でもあり久しぶりに寮の仲間とのんびりと出来た事は嬉しかったです。
「会社の工事課だけの旅行」この旅行は特段に楽しい!
昭和51年11月2日~3日、工事課だけの旅行1泊2日で網代「大成館」に行きました。普段はそれぞれの工事現場に1人で行って「ゼネコン社員や職人にいじめられて、いやな思い、辛い思い、逃げ出したい思い」を抱えながら現場を纏めている仲間が年に1度集まっての旅行は、普段のうっぷんを晴らすガス抜きの効果も有るので、担当部長、課長、以下出席出来る工事課の全社員が集まっての大宴会ですので酒は飲み放題、言いたい事はどんなことを言っても無礼講!部長、課長も全て現場を踏んできているので現場でも「理不尽な事を押し付けられる辛さ、悔しさ」等は全て分かっているので、「喧嘩」しない限り何をやっても怒られない!「これほど楽しい、美味しい、お酒が飲める機会は他には無かった」のです。
又お茶屋から芸者も呼んで3時間飲み続けます、部屋に帰ってから又寝るまで飲んでいます。朝起きて風呂入り朝食の時にも又お酒を飲みます、帰りの電車でも又お酒を飲んで帰ります、それでもみんな無事自宅帰り翌日は仕事してます。現場の人はそれぞれの現場に散っていき仕事をします。他の人から見たら「キチガイ集団」に見えるかもしれませんが次の日に休む人はいません、又意地でも休めませんから!
工事現場を8年間、南は四国愛媛県の専売公社工事、北は栃木県宇都宮の東武デパート増築工事と広範囲に渡りやってきました、辛い事も多かったですが楽ししい事も沢山あり貴重な経験をさせて頂きました、「感謝」の一言です。
31日の大みそか迄に工事現場の事を全部書こうと思っていましたが川崎の日本鋼管工事が残ってしまいました。
不動産の事とは直接関係のない建築現場の事を書きましたが、こんな仕事をやって来たんだなと思って頂ければ幸いです。
皆様も良い年をお迎えください。
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