幕張本郷の不動産社長経験214)不動産売買の面白さ、難しさ【鉄骨工事現場監督時の写真、工事内容】①
東京都中央区銀座4丁目交差点角「サッポロ銀座ビル」①
銀座4丁目交差点角地の「サッポロ銀座ビル」は現場規模は大きくなかったのですが、理由は分かりませんが一気に工事が進みませんでした。当社の担当者もその都度変わり私は最後の仕上げ工事の「広告塔工事と、2階の床を解体して1階、2階吹き抜けにする工事」を担当しました。完成後は1階~2階の吹き抜け部分は日産自動車のショウルームになっておりました。
広告塔の工事は約50年位前の1~2月頃の寒さの厳しい時期と重なりました、工事は夜の8時~9時頃から鉄骨を下ろす作業が始まります、あづま通り側からトラックが入って来てデ―リックの機械での作業ですので効率は良くありませんでした。
広告塔の鉄骨組み立て作業は午前0時から5時半~6時迄しかできなかったと記憶しています。屋上の狭い場所に鉄骨を並べるので稀にすぐ使う鉄骨が下の方に有ると取り出す作業も有り、なかなかはかどらない仕事でした。
鳶職の人は上の方にいて次の鉄骨が上がって来るまで待っているのですが、余りに寒いので焼酎をあおって上に登っていました。時間の間が長いと命綱をひっかけて眠っている時も有りました、そうすとハンマーで鉄骨をたたき「起きろー」と下から声をかけながらの作業の時も有りました。今では考えられない事ですがそういう時代でした。
上から2番目の左下が広告塔の鉄骨工事途中の写真です、又2番目写真の右下と3番目写真の上のサッポロビールの広告の有る部分が完成後の写真です。
2階床解体工事(1~2階日産自動車のショウルームで使用)②
最後に2階の床解体工事をやる事に成りました。2階のコンクリート床版を解体した後で2階の鉄骨梁をガスバーナーで切断する解体作業でした。2階梁の片方を切断して残りの片方を切断しており最後のもう少しで切り終わる処でしたが、3階から吊っていたワイヤーロープが天秤を食らって滑り鉄骨梁が反動でちぎれてド~ンと1階床に落下してしまいました!幸いに下には誰もいませんでしたので人身事故は免れましたが「肝を潰した瞬間」でした。工事現場は少し気が緩んだり、不注意だったりするとすぐに大事故に繋がり兼ねない事が多く潜んでいますので気が抜けません。
所定の2階梁は全部撤去して、最後に内装工事が入り「銀座日産ギャラリー、自動車のショウルーム」なりました。
現在は数年前に建て替えられてモダンなビルに生まれ変わっています。
銀座5丁目「コアビル」工事③
サッポロ銀座ビルの隣に又大成建設が「コアビル」を施工する事に成り現場担当が又私に指名となりました。江東区砂町の現場監督専用寮からの通いになりました。この現場は最初から最後まで休むことなく継続的に工事が勧められました。
地下部分は鉄筋コンクリートで造り1階から上は鉄骨で建てる方式でした、現場の作業を出来るだけ省略できるように設計されており、各階の床は工場でコンクリート床版を打設して養生した後で現場にトラックで運び、現場では床材のコンクリートを番号に従って張っていく隙間はモルタルで埋めていく方式でした。外壁材は外壁にガラスを埋め込んだ状態でコンクリートの打設を行い養生期間を経て現場に搬入して、クレーンで1枚1枚張って継ぎ目は鉄板で溶接をして固定していく作業の積み重ねで完成させていきました。
外から建物内エレベーターの中が見える「ヌードエレベーター」としては初期の時でしたので、清水建設、鹿島建設、竹中工務店等大手建築会社が完成時には見学に来ていました。
「コアビル」工事中のエピソード④
コアビル工事中のエピソード①伸縮パイプ支柱が歩道上の現場事務所屋根に落ちて更に銀座4丁目交差点で赤信号で停車していたタクシーの屋根に直撃した事故でした➡新聞にも「真昼の銀座4丁目交差点にパイプが落下」と掲載されました➡原因は4~5階の間の柱コンクリートを削る作業の為に伸縮サポートパイプを設置してシートを張り、削岩機でコンクリートを削る作業をしていた所振動でサポートパイプが緩み外れて4階から現場事務所の屋根、更に下に停車していたタクシーの屋根へと落下した結果でした➡幸い怪我人が出なかった事も有り作業はその日は中止になりましたが、次の日から作業は続けられました。
今では考えられませんが50年位前の安全対策は大手でもお粗末な所がままありました。
「コアビル」工事中のエピソード⑤
コアビル工事中のエピソード②現場の「当社職人の溶接工事の火花が歩道を通行中の銀座ママさんの着物を焦がした」ことが有りました、そのママさんを大成建設東京支店や、会社の専務が知っていたので大騒ぎにならずに済んだことが有りました(後で専務に聞きましたが偉い高くついた!)こぼしていました。➡今は安全対策関係がかなり厳しくなっており、このような事故が起こる事は考えにくいです。
「コアビル」工事中のエピソー⑥
銀座のど真ん中の工事現場ですので徹夜の作業も有りました、1週間位続けると頭が重くボーとなります。職人は徹夜で仕事すると朝は帰り昼の人が交代で来ましたが私の場合は現場に出る社員が他の現場に出払っていたことも有りますが交代で昼の社員が来ませんでした。仕方なく箱番(現場内プレハブ着替え場所、職人の汗等で汚れた作業着がぶら下がっていて悪臭が漂っている)で仮眠を取りながら作業をしました、風呂はその間2回東京の寮に帰り入りました。大成建設の所長が見かねて私が会社に仕事の段取りで連絡した後で呼び止められました、ここにいなさいと言われ所長の机の処に待機していました、会社の専務に目の前で電話をして「原君の交代社員寄こさなかったら今月の支払い2000万円?ストップするからそのつもりでいて下さい!ガチャ」、「これで交代社員が来ると思うよ」と所長は云ってニコッと笑いました。午後には専務が飛んで来て必ず交代社員寄こすと所長には云っていました、一緒に事務所出た後で専務は私には原君もう少し待ってくれと云って帰り、3日後に応援社員来ましたが徹夜は残り2日だけでした、それでも助かりました。もうヘトヘトに疲れが溜まっていましたから。
*工事現場は各職種類の集合体ですのでどこの業種が欠けても工事は進まなくなる事が多いです。特に空間から当社の鉄骨を組み上げて上に進まないと次の作業が何も出来ませんので鉄骨工事の現場監督が倒れると現場の全体の段取りが悪くなり工期が遅れて行きかねないので所長も他の会社の事では済まされません。
*自分としては幾ら会社に云っても、交代要員がいないから頑張ってくれ!の繰り返しなので仕事場で倒れれば休めると思っていましたが、そういうう時に限って気持ちは現場の事を考えており、神経がピリピリしていてもなかなか倒れなかった(他の現場でも)。中学、高校時代にサッカーをやって体を鍛えていたので、何とか現場でどんなに忙しくても倒れる事は有りませんでしたのでラッキーでした。
「コアビル」工事中エピソード⑦
コアビルの大成建設建築部門の担当者M氏(現在は大成建設代表取締役)は東大出のピッカピカの1年生でした。背が高く青白い顔で眼鏡をかけてインテリ風でした。しかし最初の現場だからしょうがない部分も有りますが、朝8~9時雨が降っていると職人は今日は仕事にならないと帰ってしまいます。午後晴れらた時に「これから職人を呼んで仕事させろ」、とか「雨が上がっていますが未だ鉄骨が濡れている処を職人呼んで溶接工事をさせろ」とか言って私とよく口喧嘩したものです「職人は1回現場から帰ったらパチンコ屋に行くとか、ギャンブル(地方競馬、競輪、競艇等)に行くとか、映画見に行くとかで探しようが有りません」。その他でも工程表重視は良いのですが今程安全対策もしないで危険な作業をさせようとしたりして(足場も組まないで作業させようとしたり、養生をしっかりしないで作業工程を組んだり等)困りました。当時は各ゼネコン各社の上司も安全対策より現場の工程表を優先で作業を進める傾向に有りましたのでM氏だけを非難するわけにはいきませんが、「面白い意外な出会いでした」。その後の現場でも「東武宇都宮デパート新築工事➡ビズネスホテル棟も隣接に建てました」が運悪く死亡事故が発生して事故調査員として現場に来ていました。常磐線のJR柏駅前の「そごうビル」の工事途中にも現場視察で来ており「計3回」現場でお会いしております。
「銀座コアビル」の「新入社員の時から将来は大成建設の社長に成る」人と言われていましたが其の通りになりなった人と現場で一緒に仕事出来た「縁」を懐かしく感じている処です。
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