幕張本郷の不動産社長経験223)不動産売買の面白さ、難しさ【最後の大型鉄骨工事現場監督時の写真、工事内容】⑤
「日本鋼管、海上製鉄所工事」①
「鉄は国家なり」の延長線上の時代で、東京湾川崎寄りの精油所の隣接を更に拡大して広大な敷地分の外枠を囲い、千葉県の山を崩して山砂を船で運び埋め立てて造成した敷地に高炉を含む関連のあらゆる工場を建てていました。日本の大手ゼネコンはもとより地場の建築会社もかなりの数で入っておりました。昭和50年9月~51年4月迄8ヶ月かかり当社担当の建屋は完成引き上げ出来ました、無事故で完成させたので現場所長より感謝状と記念品を頂きました。
当社の今回現場は「竹中工務店」の直の下請けでした。鳶,土工等の職人は関西系が多く最初は少し戸惑いも有りましたがすぐに慣れました。
工事は当時では「日本に2台」しかないと言われたP&H300トンクレンでの建て方を1部分ですがやりました。クレン組み建てに2~3日かかり、鉄骨を吊るワイヤーは鳶職人が2人掛りで引きずってようやく鉄骨にフックかけ吊り上げる作業でした。
2枚目の鉄骨の柱の下に鳶職人が写っていますが鉄骨の高さはおよそ20m位で柱1本の重さは数十トン位有ります、使用するワイヤーも太くて丈夫なものが使用されます。
【建て方、及び屋根の通路手摺り工事部分】②
工場建屋部分は割と順調に工事は進みました、最盛期の忙しい時は後輩2人が応援に来てくれましたので川崎の旅館から車で地下トンネルを通って現場まで通いました。
屋根の通路手摺り工事の時は1~2月頃の1番寒い時期でした、しかも海からの冷たい風が時には強風に変わり職人が飛ばされそうになり工事が難航しました。
屋根の上から見ると「扇島」と云われていましたがその通りで、海の上に扇が浮かんでいるように見えました。
【鉄は国家なり】➡今は「高炉の停止」が進んでいます!
半世紀もすると時代の流れや構造が変わり現在は「日本国全域で高炉の停止が」見受けられ寂し限りです。現在は「日本鋼管と川崎製鉄」が合併して「JFE」になりました。
約45年前は扇島には海底トンネルを通るしか車では行けませんでしたが、今は湾岸道路が扇島の真ん中を通過して横浜ベイブリッジに繋がっています。時代の変化と流れが一層激しくなってきていることを感じています。
建築会社での最後の大型工事は無事故で完成して引き上げる事が出来ました。
今度は木造の建売現場や、注文住宅の現場も紹介していきます、普段見る機会が無い所もお見せできると思っておりますのでブログを見て頂けたらと思っております。
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