【幕張本郷の不動産社長経験15】バブル崩壊①
昭和62年、63年頃から平成2年3月大蔵省の総量規制通達が発動される迄は、東京都心を中心にオフィスビル用地不足を背景に地上げが盛んに行われ地価の上昇が続きました。地上げされた人達が1都3県に代替地を求めて殺到して東京周辺地も値上がりしました。総量規制後も平成2年8月位迄はあまり変化が有りませんでしたが、9月に大手都市銀行の不祥事が発覚したらグッと締まり、12月になったら更に厳しくなり、平成3年1月になったら水道の蛇口を閉めるようにピタッと金融機関の融資が止められました。優良企業は別だったと思いますが、、、。
会社倒産の危機
その年の当社は不動産売買業務により利益が1億円以上ありました。しかし次の物件に手付を打っていたり、営業費で使っていたりで手元には殆どお金は残っておりませんでした。当時の計算で税金は5,500万円位支払わなくてはならない状況でした。そこで、金融機関に融資のお願いに行きましたが全部断られました。国税は税金滞納には厳しく、滞納の場合年14%以上の利息が課されます、そして絶対値引きしてくれません。金利だけで年770万円位払う事になり、事務所の経費、給料、金利等を考えると、今後当分新たな融資は難しく、税金分を何とかしないと倒産する可能性大と眠れない日々が続く。
起死回生の策思いつく
倒産の恐怖と闘いながら、個人と会社の全資産を再評価とチェックしてみました。すると会社所有の物件で簿価が9,600万円、金融機関の抵当権が4,000万円しか設定されていない物件が見つかりました。この物件を4,000万円で売ったことにすると、簿価との差額5,600万円は損金で落とせる、残り利益の4,400万円は調整すれば2,000万円以下に抑えられる、そうすると税金も1,000万円以下に抑えられる。これなら個人の会社貸付けでなんとか成る。光が見えなかったジャングルを歩き廻りながらやっと浜辺にたどり着いた気分になりました。
起死回生案実行
起死回生策を実行する当たり、弊社の関連会社2社のどちらかに所有権を移転していれば問題なかったのですが、関連2社とも私が役員に入っており実質私が全部経営していたので「税務署に利益の付け替えだ」と指摘され課税されかねないと考えて、全くの第3者に事情を話して金銭的には一切迷惑かけないし手続きも全て私がやる、「売買した時や関連会社に移転した時でも最低でも100万円以上の協力金を支払う覚書交わして」本人の了解を貰い実行する。
思わぬ落とし穴、1難去って又1難
実行後1年を過ぎた頃当該物件の差押えの通知が当社と金融機関に送達される、内容は所有権移転した人が商売上の取引先からの債権返済出来ず倒産して物件を差し押さえられたとの事でした。金融機関には事情を話して納得してして貰うも、程なく地元の仲介業者が客付で売買の話が来た時に差押えをしている人にお金を1,000万円上げるので差押え解除して欲しいと交渉するも不調となり、売買の話は流す事にする。
令和元年12月~令和2年5月には続きをお伝いします
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