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2021年01月05日
ブログ

幕張本郷の不動産社長経験225)不動産売買の面白さ、難しさ(青森での高校時代)③

八戸工業高校3年生の時、修学旅行(四国)③-1

高校の時の修学旅行は昭和41年度の私達迄は8泊9日の豪華な旅でした。八戸➡新幹線を乗り継ぎ➡宇高連絡船➡四国高松へ到着、「屋島の合戦跡地見学」➡「栗林公園見学」➡」「金毘羅様参拝」(石段をかなりの段数登って行って疲れたな~)と思っていたら、世界から?又全国から訪れるので「お年寄りや足の悪い人は籠で登っていく人も」おりました。

夜は四国で泊まったような気がしております!食事の後は手紙書いたり、トランプをして夜中まで騒いで先生に廊下に正座させられたことを思い出します。

四国を離れる時はバスガイドの3人が岸壁迄見送りに来てテープを渡して船が離れるまで見送ってくれました、ジーンと来る場面でも有りました。

四国➡「宮島➡広島➡岩国」と廻りました③-2

四国を離れると瀬戸内海を船で「宮島」に向かいました、高潮の時にも通路の敷板が流されない工夫を施している説明も受けました。「海の中の鳥居も両側の柱を控え柱がしっかりと押さえていて安全を保っているのが印象的でした。

広島原爆記念公園内の「原爆記念館の写真や遺品を見て戦争の悲惨さが痛いほど分かりました」「原爆ドームを背景に記念写真を撮り」その後は自由散策で公園内を見て歩きました、公園内は整備されていてとても綺麗になっていました。青森の父は(平成13年10月老衰で死亡)身体が弱かったので、又農家の長男(男1人)だったので戦争末期までは徴兵を免れていましたが、19~20年には徴兵されて弘前で訓練していた所終戦になり命拾いしたので、「私が昭和24年1月に生まれる事が出来ました。

その後は岩国の「錦帯橋」見学をしました、大工になろうと思っていた時も有ったので橋の構造や組み立て、ドーム型(太鼓橋)の形は川の増水した時でも流されない工夫がされていたのも興味深く案内の説明を聞いていました。

「清水寺➡延暦寺➡二条城」廻りました、順番?③-3

清水寺見学もバス停から本堂迄かなり歩いたと記憶しています。本堂廊下部分から下を見るとかなりの落差に足がすくむ思いをしたと記憶しています、又木組みで崖の下から組み上げている木造建築のすばらしさに感動して帰りました。又上から落ちて来る水を杓子でくみ上げて縁起ものですので飲んできました。

延暦寺は森に囲まれて静寂の環境の中に建っていました、本堂全体がひんやりしている様に感じたと記憶しています。順番を待って「延暦寺の釣り鐘を突かせて頂きました」ので良い思い手になっています。

二条城は建物の空間の広さ、使用している材木の一級品に圧倒されたと記憶しています。

平安神宮➡大阪城➡平等院➡奈良の大仏殿(順ばん?)③-4

平安神宮は朱塗りの柱などがとても綺麗だったと記憶しています、内部は見たもののあまり記憶に残っているのが思い出せません。

大阪城は建物内にも入り天守閣迄上ってきました、さすがに見晴らしは良く大阪市街がかなりの部分眺望出来ました。

平等院は思ったほどの大きさでは有りませんでしたが、池や配置や周囲の庭、森、との調和を考えて造られていました。

奈良の大仏殿は大きさに圧倒されました、鎌倉の大仏は中学校の時に見ていましたが全然比べ物にならない大きさでした。又使用されている柱の原木は素晴らしい太さ、高さでその当時の匠の心意気と権力の強さを象徴していると感じました

*この後は東京に戻り泊まり、次の日は1日自由行動でした。中学校を卒業してすぐ就職している友人2人と会って、「皇居2重橋、上野公園、浅草仲見世通り」と途中昼食取りながら廻り夕方別れて旅館に着き、次の日青森に帰って行きました。「素晴らしい修学旅行に行かせてくれた両親に感謝です」

 

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